2014/8/13

『フェアトレードのおかしな真実――僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た』 Conor Woodman

この本、結構面白いなあと思いました。一人称で現場でのエピソードや見聞が色々書いてあって、批判的な立場にありがちなゴシップ煽る感じもそんなに強くないし、かと言って綺麗事ばかり並べてあるわけでは当然なくて、まず読み物としてとても興味深く読めました。海外の翻訳本にありがちな、必要以上に小難しく訳されていることもなく、読みやすいと思います。あ、最初に書いておくと、僕はそもそも「フェアトレードだから」みたいなことでモノを選ぶことはほぼないです。ただ、例えば、自然農法で作ったオーガニックな野菜を食ってみたら、やっぱり美味かった、みたいな経験には割と恵まれていると思います。

フェアトレードのおかしな真実――僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た
コナー・ウッドマン
英治出版
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さて、本書。言っていることは比較的ストレートな話で、フェアトレードと言っても機能してるものと機能してないもの、倫理的と言っても実態を伴うもの上辺だけのものがあるという話で、多くの人はでもタイトル読むだけで、でも実際はそうなんだろうな、って思うんじゃないかなと思います。その上でこの本が示唆的なのは、企業が社会的責任を遵守する目的で行うこと、それを消費するというのはそこにある責任をある意味で個人が引き取るということだって考え方ですね。このロジックは納得性のあるもので、日本でも近年結構、特に震災以降、身近に持ち得る感覚なんじゃないかなあと思います。投票するにしても、購買するにしても、ただ投票するだけとかお金払うだけだと、関与はしているけどそこには無力感ってのも同時にある気がして(僕は)、なんか引き取るんだろうと思うんですよね、個人が。それでそれ最終的に正しくない場合もあるし、という。

あとサーティフィケートビジネスの話。これもなかなか難しいけれど、天皇家御用達に始まり、色々あるわけじゃないですか。食べ物だけじゃなく、エネルギーとか、ファッションとか、色々ある。そういうのも、ラベルはペタペタ貼れるので、じゃあ何かって言うと、自分が良いものとしてBetできるモノのサポーティング・パラグラフの1つなんだろうと思います。結局、モノを選ぶ眼とか、そういう話で、本書でもグリーンウォッシュならぬフェアウォッシュというのが出てくるけれど、まあ疑いだすときりないですよね。ただ、そもそも人間は最良の最上質の本物のモノを選ぶ必要など「ない」はずで、変にそういうものを正当化のロジックに使わない方が良い。どっちかって言うと、知り合い関わっててヨサゲだからとか、なんか話読んだら面白かったからとか、そういうのの方が筋が良い気がするんだよなあ。

なんかだからモノにこだわるってのはどういうことに行き着くのかなあと思うんだけど、どういう人が何やってどうなったか、ってことに興味持てるものを選ぶのとかが個人的には良いのかなあと思います。そういうことが面白いモノは面白いし。貧困層に雇用を生み出すことと、1000年続く伝統を守っていることと、同じ秤に乗せられないじゃないですか。なのできちんとした文脈になって、そういうことへの興味が持続していけばいいのではないかなあと思います。何だか抽象的だけれども。

ただ昔から言っている「人間に対する興味」みたいなこと、そういうことの文脈に消費が乗れば、それで十分だって気もするんですけどね。近所の親父さんのチャーハンが好きだ、という話と、フェアトレード、も同じ秤には乗らなくて、ただ僕にはどちらか一方が由々しき問題、という話でもないなあと。

まあ過度に意味付けしなくても済む状態、が健全なんでしょうね、本来的には(久し振りに話をどこに落ち着ければいいかよくわかんなくなってる)。

ひとり仕事: フリーランスという働き方
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