2014/5/1

企画書1ページ、ブログ1記事、本1冊、料理1皿、ビール1杯 – 「1」に美学はあるか

最近、何を書こうかと思ってたか忘れたなあと悶々としてたんですが、これですね。一杯のかけそば、ってあんまりちゃんとどういう話だったかも覚えてないのですが、何かこう、一杯の中に寂寞と豊穣の両方が存するというのは何と言うか日本的で良いもののように思います。一輪挿しとかね。良いですよね。ウアッ、ゴテッ、ってやつより。『武士の一分』は観てないや。

さて、久しく企画書を書く機会がなかったのですが、ここ1年すごい書く機会に恵まれました。これは僕にとって良いことだなあと思ってます。相変わらず1ページの企画書でプロジェクトがスタートしちゃう時はあるし(ユレッジとかgd Yokohamaとか主体的にうちが動いたヤツはそういうことが多いですね)、もう少しボリュームを書くこともありました。人を動かすなら1ページが良い気がするし、人に納得してもらうならそこそこボリュームがあっても良いのかな、くらいの按配ですね。未だにSteve Jobsのような、50ページとかのスライド作ってプレゼンするみたいなことを僕はやったことがなく、なんとなく生涯そういうことはしないのかなあと今のところ思ってます(成り行き次第ですが)。

そんなこともあって、先日、イトナブよりナナちゃんがUX武者修行をしに来た時に、企画書1ページにトライしてもらいました。アプリそうけんと、イトナブのブログにもレポートがアップされてます。

イトナブ ナナのUX武者修行★5DAYS
デザイナーNANAのUX武者修行の旅! 東京一日目! | イトナブ

ようはこれ「1+1=1」をやってもらおうと思ったんですけど、結局「2+2=1」になっちゃったんですが、まあそういうことです。自分の思考のどの部分を図解すると、メッセージが伝わるのか、取捨選択と構造化と重み付けの練習みたいな感じで、僕こんなに丁寧にやらないですけど、面白かったですね監督。

ここで収束と拡散という話を持ち出すと、何やらすごい古い人のようですが、まあ僕がそういうことを教えてもらったのは20歳くらいの時だから随分経ちます。

1ページの企画書を書くということは1ページの企画書分の思考をして、10ページの企画書を書くということは10ページの企画書分の思考をする、ということでは全然なくて、思考を紙に落とすという意味では同質のもの。ただ頭に抱えてるものを収束させるのか拡散させるのか、そういうことだろうと思います。収斂と展開とかでも良いですけど。なので、僕は企画書を1ページで出すことにあまり後ろめたさはない。

同じようにブログ1記事とか本1冊とか、後半も別にふざけているわけではなくて、料理1皿とかビール1杯とか、1を最小単位とするパッケージというのはあるわけです。でまあ最上のとか、至高のとか、珠玉のとか、枕詞がつくわけだが。

こないだイベント終わった後に美大出身の仲間と会場後にしながら話していたら、「コースケさん、この仕事のこの曲線が、美しい、とか言いそうじゃないですか」と笑い話をしていまして。まあそんなことは全然ないです。全然ない。

じゃあ何があるのかと言えば、それは「現実問題」ですよね。現実問題として1ページで企画書は済むのかも知れないし、現実問題として1記事のブログが波及するかも知れないし、現実問題として本一冊に感化されるかも知れないし、現実問題として料理1皿に感銘を受けるのかも知れないし、現実問題としてビール1杯しか飲む余裕がないのかも知れない。1がクローズアップされる時に、そこにあるのは1の美学じゃなく、1の現実問題。

前に企画書の書き方の記事書いて、ずっと人に説明する時に使い回してるんですけど。

僕の企画書 デザイン編 : kosukekato.com

こういうことを書いている。

いきなり当り前の話から始めますが、誰がどういう目的でどのように読むか、ということを想定するのがドキュメント制作の第一歩です。

  • 大人数を相手にプロジェクタを使ってプレゼンするなら、話が冗長にならないように1ページあたりの情報量を少なくし、文字を大きく、図版も大きく、端的でわかりやすくする。
  • 印刷ベースで少人数の会議などでなら、ページ数が過度に多くならないように、一方で書類が独り歩きしても誤解を生まないように、過不足ない説明を盛り込む
  • 5分での経営判断を求めるようなシーンでは、1ページで企画の全体像が俯瞰できるようにする

他にもケースは色々あると思いますが、目的に応じたドキュメントを作らないと、ドキュメントを作ることが目的ではないので、往々にしてミスマッチが起こってしまい、せっかくの内容なのに、通らない、ということが起こり得ます。どういうドキュメントを今回は用意するべきなのか、それを考えるのがまずもってのスタート地点です。

だから現実問題への解として「1」であることが有用である時があるということと、物事を1にするには、結構訓練がいるんだと思うんですよね。1番とかじゃなくて、1という最小単位ということですよね。僕よくミニマムセットって言うけど、そういうことですよね。

ミニマムセットであることに美学を感じるならそれはミニマリズムということかも知れないけど、そういうことは目指してなくて、ただ、ミニマムセットであることが現実問題の解になることがあって、がゆえにそうであるための訓練はそれはそれで必要だということです。

ということが言いたかったようです。なんか一旦忘れて思い出すのにやたら時間かかったせいか、話散乱しましたが、そんなことを書きたかったようです。ふう。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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