2014/4/10

「読ませる」の卒業の薦め

仕事してると、たまあに「読ませる」って言葉が出てくる時があります。広告とか基本的にそういうもんじゃないですか。それが悪いというわけじゃないんですけど、「読ませる」ってあんまり言わない方が良いんじゃないかなあと思うんですよね。特にインターネットが出て来て以降は。

これ一番良い事例が実は楽天だと思っていて、あれを「読ませる」っていう捉え方しても良いんだけど、あれだけの情報量をあれだけの押し出しで出す、って言うのはつまり「読まれないかも知れないけど、読むかも知れない」ってのが根底にあるからだと思うんです。

よくWebのコピーとか文章の話の時に「そんなに読まない」とか「そんなの読まない」と言う人いるんですが、僕に言わせると「そんなのわからない」じゃないかと思うんですよね。

僕がUXの話で、一番前からどうなんだろうと思っているのに「ペルソナ」というのがあるんですが、結構諸刃の剣だと思っていて、「そういう人もいるかも知れない」とは思うけど「そうじゃない人もいるかも知れない」し、もっと言うと「使う人が何しでかすかわからない」って言うのが原則、ってのを考えておいた方が良い。

この「使う人が何しでかすかわからない」って言うのは、良くも悪くも伸び代がある話だと思っていて、サービスを一歩前に進める上で、「わからないこと」を明確にして、それを「わかるように努力する」ことに、ようはサービスアイデアの萌芽ってあると思うわけです。あと、UXデザインも少なからず、何しでかすかわからない、を交通整理していく作業だとも思う。

ライティングにしてもそう。「そんなに読まない」「そんなの読まない」すなわち「読ませる」って「だけ」のスタンスだと、薄っぺらいことしか伝わらないんですよ。Webの釣りタイトルとかもそうですが。タイトルだけやたら目について、中身あんまりないとか。そういうの情報を右から左に転がしてるだけで愉快ですねって話にはなると思うんだけど、なんか行動を喚起しようとか、購買に結びつけようと思うと、全然文脈が足らない。

「読まれないかも知れないけど、読むかも知れない」って考え方的にとても大事だと思ってて、Webに文章用意しても全部読まれるということはほぼない。皆拾い読みする。雑誌に近いですよね。ただだからと言って、大衆週刊誌の中吊りみたいなことだけやってもしょうがないわけですよ。特にブランディング、とか考えてるのであれば。

だから、「読まれないかも知れないけど、読むかも知れない」辺りが、コンテキストに厚みを作れるところだと思っていて、そういうところ丁寧にやってるなあと思うものはやっぱりよくできてるなあと感心するし、当然すごい工数かかるわけだけど、詰めるということは多分そういうことだろうと思います。

「読ませる」という考え方を卒業するだけで、随分色々やる余地が出てくるだろうし、それは情報の飽和に対する一つの解だと思います。

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