2014/3/7

オープン・ガバナンスと災害ボランティア – GitHubが可視化する世界像

今日、ユレッジで公開した北村さんのインタビューは、なまじ自分が取材してないだけに、考えるところがあるなあと思いました。特に僕、基本的に災害ボランティアに参加したことがない人間なので。特にそこを恥じる気はないんだけど、やっぱりそういうことにコミットしている人達すごいなあと思うし、先日うかがった、遠野まごころネットもそういう役割を果たしていた団体なので、うかがって来た話も含め、物思いに耽っておりました。そうしたらこんなことがあった。

ちょっと色々端折って書いちゃってる投稿なんだけれども、Code for Japanのスライドにもネクストフェイズとして、参加する人達のデータベースみたいなことがあった気がするし、オリンピックに向けて北村さんもボランティア・データベースの必要性を話しておられる。ここで連想したのがGitubのような、コミットメントを可視化する開発ツールのことでした。そう言えば、以前、この件、 @gamella が書いてた。

革命を誘導する方法論としてのソーシャルメディアと国家の経済成長のためのGitHub – Future Insight

このような枠組みの中で僕がいつも気になるのはGithubの存在だ。Githubが過去に登場したどのようなオープンコラボレーションのツールよりも優れていることに疑問の余地はあまりない。そもそもGitというシステムの枠組み自体が、Linuxという過去にオープンコラボレーションで登場した世界最高水準の品質の成果物を支える思想的なバックボーンであり、もしかしたらこの概念自体がLinuxという超巨大システムの開発経験自体がなければこの世に存在しなかったかもしれないという点であまりにも奇跡的な産物である。SF的にいうとGitが存在しない並行世界というものは容易に想像がつく。なぜ、Githubがこのソーシャルメディア革命の枠組みの中で異色かというとあの5年もしたら、GitHubに参加できない国家というものが、その経済発展において大きなリスクになる可能性があるからだ。

まあ僕は経済発展というより、社会問題の解決って言い方をしたいけれど、実はあんまり大差ないという気もするけど、オープンコラボレーションのための、チーム・マネージメント、ないし、プロジェクト・マネージメントをしていたのが、災害ボランティアセンターやハッカソンだと考えると、そこに「誰が」「何を」「いつ」「どこで」「どのように」コミットするかというのをデータベース化するとなると、それはGitHub的な体系になるんじゃないかなあと思うんですよね。

ただ、その上で、後ろの方に書いてるけど、それって結構生きづらい世の中なのでは、というのがあって、猫も杓子もコミットメントを可視化されて皆が幸せかって言うと、全然そうじゃないだろうし、そもそもボランティアって義務じゃないから、コミットメントって言葉と、あんまり親和性高くなかったりもしますよね。

その辺、こないだ業界の先輩にコメントもらったけど、「自分探し」みたいなことではないとする時に、でもなんとなくやってる、という以上には意味性を持たせようとした時に、そういうものの必要性が生まれてくるのかなあと思ったりもするし、それ以前の問題として、先述のとおり、マネージメントのシステムがないと運営マターとしても十全に機能しない、ないし、マンパワーがかかり過ぎるだろうなあとも思ったりしました。でもそういう枠組みないと、トップダウンのマネージメントをせざるを得ない部分も発生しそうな気がして、もしかしたらこの辺りこれからすごく面白いのかも知れないですね。

そのままスケールさせると、色々な機能不全を生みそうな気もしていて、だから考える材料としては面白いトピックなんだけれども。

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