2014/3/1

遠野、釜石 – シビック・プライドとウェルフェア・トレード

手伝っているプロジェクトがきっかけで、お知り合いになった方に(この時、初対面)、「遠野、一緒に行っていただけませんか?」というお話をされ、僕は遠野に東戸塚から何時間かかるのかも調べたことがあったし、東北でも特に寒さ厳しく雪深いところということも知ってたし、挙句の果てに、柳田國男の『遠野物語』然り妖怪が暮らす町ということも知っていたので、ふたつ返事で、「行きますよ」ということに。ようは一度行きたいと前々から思っていたところだったんですよ、遠野。僕の仕事仲間には遠野が実家の奴がいて雪深い遠野の話を聞いていたし、語り部の話を聞いて妖怪をモチーフにしたアクセサリを作る作家さんにとっては故郷であるようだったし、民俗学の出版社をやっている編集人にとってはそこは日本の民俗学の発祥の地であって。僕は縁も由縁もなかわったわけですが、お声がけいただいちゃったので、行って来ました。

今回は遠野まごころネットさんにお世話になり、釜石の障がいをかかえる方達のための施設で作業場を見学させていただいて、そこで職員の方にデザインの話を少しさせていただいたり、メールをしたことない方にGmailをお教えしたり、先方がWordで作っていたチラシをアレンジしたり、みたいなことをさせていただきながら、お話をして来て、皆さんと一緒に遠野弁のラジオ体操をしたり、施設で出される食事を一緒にいただいたり、今までにない経験をさせていただいて来ました。

IMG_1143

さて、釜石と言えばラグビーをする人にはなかなか思い入れのある土地かも知れません。新日鉄釜石と言えばラグビーの一時代を築いたチームです。今も釜石シーウェイブスがありますし、僕らが関わっているニュージーランド大使杯には、震災以降、毎年、ラグビーを通じて、釜石を中心に東北全体の復興支援活動を行うために発足した、NPO法人「スクラム釜石」さんにサポートをいただいて運営しております。僕もシーウェイブスのロゴが入ったチャリティTシャツのデザインをさせていただくなどしたことがあり、ここが釜石か、という感じでした。

スクラム釜石|SCRUM KAMAISHI

IMG_1149

1泊2日でしたから、あまり観て回ることはできないなと思っていて、実際写真もあまり撮って来なかったのですが、現地で活動される方々から聞く話はとても新鮮で、かつ鮮烈で、とても実りのあるものでした。遠野の町は、古いものがたくさん残っていて、ちょうど3月3日ひな祭りの前ということで、古くからの雛人形を見せてくれる場所がいくつかあるということだったのですが、日が暮れて到着した遠野で、一軒だけ空いているお店があって、見せていただくことができました。

IMG_1156

遠野の街並みは静謐というか、荘厳というか。古いものが綺麗に手を入れられていて、暗がりの中でも美しかった。

IMG_1158

宿はとおの屋という民宿。手作りのご飯と自家製どぶろくが楽しめます。ぶどうの原液で作ったどぶろくの赤と白、遠野産のホップで作られた限定のビールをいただく。やまめは久しぶりにいただいたし、ボラの煮魚も美味かったな。あと朝御飯の味噌汁が囲炉裏の炭で温められて広間に入るなりとても良い香り。豆腐となめこの味噌汁、絶品だった。

IMG_1164

この後、遠野生まれ、遠野育ちの方が、ライトアップされているというめがね橋というところにご案内してくださいました。釜石線の前身である「岩手軽便鉄道」をモデルに、宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」を執筆したと言われているそうです。ジョバンニ&カムパネルラ。

宮守川橋梁 – Wikipedia

この夜のドライブが今回のハイライトかも知れません。釜石と遠野の付き合いをうかがったり、震災の時、朝から晩まで握り飯を握って釜石に運んだお話や、遠野と柳田國男のこと、星の美しさ、朝靄の神秘さ、蛍の煌めき、郷土愛を存分に聞かせていただきました。そして、遠野の人なら誰でも一つは語れるとのことでしたが、遠野物語を遠野弁で。

迷い家 – Wikipedia

小国の三浦某と云ふは村一の金持なり。今より二三代目の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。この妻ある日門(カド)の前を流るゝ小さき川に沿ひて蕗を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる黒き門(モン)の家あり。訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鷄多く遊べり。其庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多く居り、馬舎ありて馬多く居れども、一向に人は居らず。終に玄関より上がりたるに、その次の間には朱と黒との膳椀あまた取出したり。奥の坐敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されども終に人影は無ければ、もしは山男の家では無いかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。此事を人に語れども実と思う者も無かりしが、又或日我家のカドに出でゝ物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり。あまり美しければ拾ひ上げたれど、之を食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツの中に起きてケセネを量る器と為したり。然るに此器にて量り始めてより、いつ迄経ちてもケセネ尽きず。家の者も之を怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾ひ上げし由をば語りぬ。此家はこれより幸運に向ひ、終に今の三浦家と成れり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガと云ふ。マヨヒガに行き当りたる者は、必ず其家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でゝ来べきものなり。其人に授けんが為にかゝる家をば見する也。女が無慾にて何物をも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしと云へり。

遠野弁とは言えとても聞き取りやすくアレンジしてお話いただいて、ほぼ全て聞き取れました。すごい良かった。

お昼くらいに釜石での全日程を終えて、そのまま電車の時間までお世話になり、最後は釜石の駅まで送り届けていただきました。帰りがけ、海の方は見れますかと聞いてみると、高台まで行ってくださいました。

IMG_1173

被災地、という言葉が適切なのかわからないけれど、三陸の沿岸部は3年経って、こういう状況にある。これをどういう状況か、という理解も、ずっとその場所にいるわけではないから、はっきり言ってしまえば、理解できるはずもないのだけれども、3年というのはおそらく活動を続けていくにはとても長い年月で、これからしかし、続いていくためには更に長い年月がその先にある。3年を経て、頑張っている方々、それはISHINOMAKI 2.0や助けあいジャパンもそうだけれども、今回、遠野、釜石でお話できたことは、復興という言葉もそうだけど、僕に取って、そういう場所で3年続けている、これからも続けていく、ということの意味を考えさせられる訪問になったと思います。

さて。「ウェルフェア・トレード」、という言葉をご存知でしょうか。僕は今回お声がけいただいて初めてそれを教えていただきました。ウェルフェアは福祉、フェア・トレードは皆さんご存知ですよね。釜石の施設でも、その作業場で手縫いで刺繍をしたり、ミシンをかけたり、色々な手仕事をされていました。一方で、それはfe.a coffeeでもここに引っ越して来てからうかがっている話だけど、そういうことの状況というのはとても厳しい。労働に見合う対価を、そういう場所に創出するには、ビジネスとしての、マーケットに対しての、生活者にとっての物語と付加価値づくりが必要になる。

そんな仕事をされている方とご一緒して来てきました。今回、道中、そう言った話をたくさん聞いて、色々な場所で、すごく新しい取り組みが為されていること、色々なプレイヤーがそこに関わっていること、そこにある問題・課題、それを解決するための道筋。僕がこれまで触れて来なかった分野の話ですけど、とても学びがあり、勉強にもなりました。

ウェルフェアトレードについて – Motherness -思いやりが社会を変える

例によって長い旅行記になってしまいましたが、実は遠野の夜をドライブに連れて行っていただいた後、ご案内していただいた方に自分がとても好きだという、柳田國男の言葉を教えていただき。とても良い言葉ですね、というお話をしたら、翌朝、釜石の施設に再訪した際にいただいたのが、こちら。

IMG_1178

素晴らしい人から素晴らしい言葉を教えてもらったな。ありがとうございました。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

是非、フォローしてください!
Twitter / Instagram

(2012-10-5)
売り上げランキング: 14,705
100円