
Kindle Paperwhiteの妙 – ノスタルジーの行方
実は大絶賛した割にKindle Paperwhite、周りの人ほど活用している気がしなくて、なぜって、やっぱり読みたい本は紙の本として買っちゃいたくなる性分でして。本棚、スペース有限ですけど。ただ、やはり便利だなあというところがあって、一番重宝しているのは、小説と、後は何と言っても青空文庫です。
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今日、何とはなしにKindle整理していて、まあ8割型青空文庫。坂口安吾とか、折口信夫とか、北大路魯山人とか、割と好きそうなものが入っていて、暇になると読んでます。特に食い物の話は良いのと、青空文庫、魯山人充実しています。
さっき、ちょろっとなんか読みたくなって『コーヒー哲学』というのを読んでました。寺田寅彦のエッセイで、ちょろっととは思ってたけど、ホント10ページくらいの文章でした。ただ面白かった。
このエッセイに結構面白いコト書いてあって。
芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間の人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときにはじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、そういう意味から言えば自分にとってはマーブルの卓上に置かれたいっぱいのコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言っていいかもしれない。
って44人がハイライトしてるって出てるんですが、肝心なのはこの後で。
これによって自分の本然の仕事がいくぶんでも能率を上げることができれば、少なくも自身にとっては下手な芸術や半熟の哲学や生ぬるい宗教よりもプラグマティックなものである。
なんだろう、たしかにコーヒーにはある種のそういう平たく言うところのストイックさ、みたいなものがあって、それはビール飲んでる時とは違う種類のもので、もしかしたら、日本酒じっくり飲むような人にはそうなのかも知れないと思いつつ、コーヒーのそういう感じは好きですね。淹れるところからして。
話、大分脱線しているんですが、こういう古い良いものを読むにあたっても、Kindle Paperwhiteって、その空気というか温度というか湿度みたいなのを壊さなくて良いと思います。FacebookのNotificationとかも表示されないし、そういう機能面だけじゃなく、UIの挙動があまり賢くないのとかも含めて、なんとなく読書が持つノスタルジーに寄り添える部分があるんじゃないかと。まあそんなの持つ人変われば全然違う意味性にもなるのはわかっていつつ書いてるんですが。
そう言えば、アメリカの本屋(僕が高校時代に住んでいたところでは)って日本のそれよりも全体的に暗かった気がします。何と言うかノスタルジックであり、懐古趣味的な雰囲気だった気がする。本の装丁もどちらかというと少しかび臭いというか、少なくとも日本の本のそれよりは劣化したもののような印象だし、まあでもそういうのも引っ括めて、情緒がある感じ。残念ながら、僕の住む駅の本屋には2軒とも、あんまりそういう感じはないです。
そういう意味で言うと、Kindle Paperwhiteのノスタルジーを許容し得る感じというのは、よく設計されてるんじゃないかなあと改めて思ったんですよね。空気感として。
強いて言うなら、Kindleにはコーヒーのしみはつかないですよね、くらいのことかも知れない。でもそれくらいの垣根しか実はないのかなあと思いました。
※そう言えば、昔書いた電子書籍の表紙新しくしてみました。100円なので未読の方は是非。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)