屠殺ワークショップのこと
「加藤さんも」と声をかけられたことがないと言ったら嘘になるけど、「加藤さんも」と強く薦められたことも全くありません。屠殺ワークショップに参加するべきか / しないべきかということを、結論を出そうとしたこともないですし、だから結果として参加していない。以前、別の先輩に屠殺ということ、一度経験しておくべき、と言われたこともあるけれど、全くそう思わない。
今日の僕の話にはなんの正義もないです。
実はある時を境に僕は人の葬儀にほとんど参加できていないです。本当に。それはある時まで当然のように足を向けるべきものだったことが、ある時を境に都度考えるようになった。行くべきか / 行かぬべきか。そして結果としてほとんど参加できてない。かなりまずい。
ここに何らかの理由を当てはめるのはたやすいと思うんだけど、おそらくひどく感覚的なことです。自分が死に向き合うことはたやすいし、やって来たけど、人が死に向き合うところを見るのは、そこに何か自分にとっての耐え難さがある。そういうものを想像すると、自分が許容できる何らかを超えてしまう気がします。結果、崩れる。
テレビをほとんど観ない、映画をほとんど観ない、何かが過ぎるものを、自ずと切り捨てる。少なからず僕の嗜好はここ数年そういう方向に向いていて、僕は多分そのことを概ね肯定している。
いつのまにか、人びとは、「うまい」と言わずに、「うますぎる」と言うようになってしまった。ほんとは「すぎたるは及ばざるがごとし」だと思うんだけど、「すぎてないと伝わらない」になっちゃってた。
こないだネットでこんなん見つけてリブログしたんだけど、基本的に僕はそういう感じを色々なことに持っています。
少し話は変わります。
人が新しいことを考え始めるのはどういうことかというのを、最近、僕はCrisis Responseだと思っていると今週友人に話をしました。それは海外へ出たというようなひどくパーソナルなことから、震災のような数多の命が奪われたパブリックなことまで色々だと思います。
今日、書いていた、畠山千春さんの屠殺ワークショップのこと、も僕の周りにあるいくつかのそういうことのうちの一つだと思っています。
畠山 千春 – 「見えやすくする、触れやすくする、慈しみやすくする」 – ET Luv.Lab.
ここで彼女はこういうことを言っていました。
私は自分で考える人が増えればいいなと思います。どれが正しいとか、わからないじゃないですか。私が一番納得できないのは、考えてない人が多過ぎるということであり、考えて出した答だったら、私は良いと思えるというか。自分の頭で考えて欲しいなと思います。社会的な常識とかではなくて。
僕が思うのは、この世の中は「考えるべきことのベキ論」に溢れているということです。そしてそれが社会通念になっている。だから、人は何を考えるべきか考えることをしばしばサボる。でも、本当は、何を考えるべきかというそもそもを考えるべきだと思う。これに関して言えば正しいベキ論だと僕は思う。
その上で、僕は彼女の取り組みは圧倒的にすごいと思っていて、それは屠殺ワークショップという場づくりの方法や、屠殺自体のやり方についではなく、考えるべきとしていることを圧倒的にすごいと思っています。実際、会って話したのは実は数度、毎日発言をチェックしているわけでもないし、足げくイベントやワークショップに通っているわけではないです。
ただ、少なからずして来た話の中で、僕は彼女の話に違和感を覚えるところは違和感を伝えて来たし、僕の理解が役に立ちそうなことがあればその理解を伝えて来たし、その上で、長く走り続けられる人というのは、僕は世の中の色々なことに結論を出さずに粘って考え続けられる人なんじゃないかと思っています。わかんないなー、わかんないなーとつぶやきながら、それでも考えることを辞めない人が最後まで走れる。そして考えられるうちは、人は新しい行動を生み出せる。
屠殺の話、軽々に賛同できるわけないじゃないですか、誰だって。ただその上で、昔からそういう仕事をしている人、そこに関わる人、それの恩恵を受ける人、そしてそこに携わる自分、そのことに関して、畠山千春という人がどのように考えてきたか、きっと一般の人より幾許か僕は肉付けされた話を聞いていて、それは僕が僕の仲間にいつも感心されることと同質のことで。
本当は屠殺の話だけでクローズアップされるのを少し勿体無いと思っているのだけれど、僕の仕事がそうであるように、彼女の糸島シェアハウスでの暮らしにも様々な文脈がある。暮らし方、共同体、防災、手仕事、食生活などなど、充分過ぎる文脈が彼女のところにはあって、その幾つかが実るのを僕はとても楽しみにしています。
正しいとか、間違ってるとか、応援するとか、しないとか、そういうことではなくて、ただただ、僕はそれらのことを丁寧に批評できるようにありたいと思うのです。しかし、屠殺ワークショップはどうすっかね。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)