材料の渡し方 – コミュニケーション、基本のキ
先日、晩飯食いながら、えと菜園の話を色々していて、まあなんかうちでもECやろうかてな話になっているので、久し振りにネットショップの方の話してたんですが。話聞いてて面白いなあと思ったのが、「うちのお客さんはカッコ良い写真、で商品をおそらく買ってない」みたいな話でした。
ECとか考えてみると、まずは広告、これは鉄板かなあと思います。これ抜きに考えようとするとなかなか難しいですよね、実際。後はいわゆる楽天商法というかLP的な作り込み、写真が綺麗とか、素敵なキャッチコピーとか、後はそれこそストーリーを売れ、みたいな話もありますよね。
翻って、えと菜園のネットショップで行われていることは何か、と考えると、すごく平たく言うと、材料を正しく渡す、ってだけのことではないかと思いました。判断の材料、ということですね。
購買として、買いたいか、買わないかという選択は勿論ある。ただ、もう少し踏み込んだ、買わなければいけないけど、どれを買うか、という差し迫った問題もある。
想像に難くないと思いますが、特に食品を扱うネットショップで、2000年代の安全・安心に加え、2010年代は放射能の影響の問題もある。少なからず、というか、おそらくかなりそういうことに深い関心がある人が、どこで何を買うか決める、という時に、必要となってくるのは、「判断の材料を正しく渡す」ということなのかなあと思います。
例えばマスマーケットの商品であれば、それはしばしばメディアの役割だったりする、けれども、ようはネットショップって、えと菜園の場合とか、もろオウンドメディアなので、広報というかプレスリリースなんかと同様に、受け取り手の材料として何を渡すかっての大事になりますよね。
「判断」ということに限らずとも、何かのアクションを促す時に、コミュニケーションで行われるべきは、この材料の受け渡しだと思っていて、その上でアレンジがあるんだと思うんですよね。当たり前だけど。
一番やっちゃいけないのは、まあしばしば聞くんだけど、発信元で「読まない」と断ずることかなあと思います。必要な人は読むし、そこ手抜いて良いところじゃないというか、人間の判断って、もうあんまり舐めない方が良いと思うんですよね、平たく言うと。それくらい生活者には様々な情報が行き渡っており、かつ、それらは決して一様ではない。
勿論、この話がトッププライオリティにならないケースも色々あると思うんですけど、僕の得意な部分も多分ここにあるし、あと、松村太郎君がユレッジへの寄稿で「ていねいな情報化」って言ってたけど、まさしくそういうことなんだろうと思います。
逆に言うと、材料にならないこと、いくら押し付けてもしょうがないというか。
色々な情報の扱い方が、何となくそういう方向に行くんじゃないかなあと思うんですよね。という気がしています。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)