2013/8/3

情緒の精度としての論理

ちょっと出張から帰って来て追い込んでいた仕事がありまして、クライアントが都合2回、僕の自宅オフィスにいらしていて、僕の隣で指示を出しながら、ドキュメントの編集作業をしていたのですが。かなり精緻に言葉を選ぶ方で、僕も本質的にはそういうこと嫌いじゃないので、クライアントが編集した文章を音読しながら「言葉が繋がっているか」「文章が流れているか」を確認していくのにご一緒していて、普段の業務とは全然違う部分がありつつ、思わず、クライアント帰る時に自然と「楽しかったです」って言ってて、まあ、そういうの好きなんでしょうね。

今晩、岡潔という日本を代表する数学者のエッセイを読んでいて、そこで語られる「情緒」ってやっぱり面白いよなと思いました。岡さんが言うところの情緒って、感情が豊かとかいうこととは意を異なるものだと思っていて、そういうあの時代の専門家が語る「情緒」は、しばしばとても美しくて、辰巳浜子の文章を読んでも、白洲正子の文章を読んでも、柳宗悦の文章を読んでも、何となく、そんな感じがします。

そう言えば先日、お知り合いの方の記事を紹介いただいて、とは言え、僕もその記事を書いたと告知された時に既に読んでいたのですが、改めて読み返して、良いなあと思った一文があります。

色はすべて黒だが、すべてのテクスチャーが異なり、すべてのトーンが違う。ゆえに美しかった。

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ここには多分、「情緒の精度としての論理」みたいなものが働いてるんじゃないかなあと思います。

そうそう、後、これから読む本なのですが、友人の企画した本が面白そうで。『未来は言葉でつくられる 突破する1行の戦略』という細田高広という人の本です。

未来は言葉でつくられる 突破する1行の戦略
細田 高広
ダイヤモンド社
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というわけで、まだ読んでないので、これがどうとは言えないのですが、2章、3章、4章がそれぞれ、「時代」「組織」「商品・サービス」を発明した言葉ってなってて、だからそういうのも「情緒の精度としての論理」みたいに読むと、もう少しビジネス寄りの視点でそういうこと考えるのに、良い材料になりそうだなあなどとも思いました(普通に読めって話もあるが)。

例えば、なんだろう、緑のガラスの器に赤いトマトを乗せると、色彩学的に、みたいに方法論としての論理を宛てがって紐解いちゃうと、やっぱりつまんないと思うんですよね。涼やかで、美しくて、美味しそう、という情感を、きちんと情緒で捉えて、その精度を論理だてて行けるか。その時、学問は精度の材料でしかなくて、肝心なのは冒頭に書いた、「言葉が繋がっているか」「文章が流れているか」みたいなことのような気がする。

上の本の帯に、「言葉でしか考えられない。考えられないことは絶対に実行できない。」って書いてあって、これもトマトで考えると、そうである部分とない部分がある気もしていて、何を言おうとしているかというと、緑のガラスの器に赤いトマトを乗せました、さて何かける、って話なんだけど、そこには感覚って言葉だけじゃ片付けたくない、情緒的な判断があって、ただ、そこにはガラスとトマトで生まれた美しさの論理みたいなものがあって、その文脈上にどう実行を配置するかみたいな話で、さてそこに言葉があるかというと、多分しっかりあって、そこで生まれてくるものって多分「精度」だと思うんですよね。

そう考えるとやっぱり学問って、ぐるりと回ると「人間」に寄り添うもので、岡さん言ってることとか頷くことしきりなんですよね、って学問するべき場所で自分自身はぜ学問全然してないですけども。という話。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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