2013/7/15

ストーリーの提示の落としどころ – ET Luv.Lab.とユレッジ

ロールモデルが成り立たない、ってのは特に僕らの世代から下に顕著なのではないかなあ、となんとなく思っています。20代に僕らは割とそういう話をしていた。言っても、色々な業界に相変わらずいると思うんですけどね。そういうことになり得る人。でも一方で、皆が同じ理想像を目指して競争をする社会ではなくなって来ているし、一矢に束ねるにはあり余る情報が今、個人の手元にはある。

ET Luv.Lab.もユレッジのThink Like A Birdも基本的にはロールモデルの提示ではない、と思っています。それはあくまでストーリーの提示なのだと思う。「人がメディアになる時代」と言った時に、そこから渡されるのはストーリーなんだけど、ああいう人、目指したいみたいになっちゃうと、同世代と普段でもする話、というのをコンテンツ化している意味がなくなってしまう気もする。

ずっと僕は多分、モラトリアムとして、批評がやたら蠢く世の中にある意味での気持ち悪さを感じていて、同時に議論することに価値があるみたいな空気にも違和感を感じていて、多分、言ってること昔から変わらないんですけど。

国民総批評家社会 : kosukekato.com
国民総批評家社会 その2 : kosukekato.com

こないだ、良いなあと思ったのが、友人が福岡で元NHKアナウンサーの堀潤さんが制作監督した映画の上映を観て(僕観てないですから内容把握してないんですけど)、「防災に強いコミュニティを作りたい」、って書いていて、ようはそういうのだよなあと思うんですよね。

有名な人の言質を使いこなすことや、頭の良い人の議論に加わることに、本来的にあまり意味はないと思っていて、どっちかって言うと、「俺もやんねーと」ってならないと、やっぱり意味がなくて。

ずっと、アクティビティ・ベースって言ってるんだけど、誰々が何々って言ってるからどう、って話より、自分はこういう風にやってるからこう、って話の方が格段議論するにも意味があるんですよ。ちゃんと自分のアクティビティに紐付けてフィードバックできるから。

まあ、僕もそんなできてないんで、もっとやらないとと思うわけですが。

ただ、後進にとって、ET Luv.Lab.も、それからユレッジも、そういうものであるべきで、情報発信がCSVみたいなことに結びついていく可能性があるとしたら、結局のところ、「俺もやんねーと」だし、議論したり、アイデア出したりするところで終わらないような導線を提示しないと、批評できる人、増やしましたね、で終わっちゃう気がする。

この情報を「渡した」先の話って、多分、コミュニケーションに関わる仕事を続けている限り、つきまとう不安なんだろうなあと思うんですけど、そういうものをずーっと携えつつ、次のストーリーを見つけたり、考えたり、形にしたり、していかないと行けないんだろうなあと思います。

などなど。

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