2013/2/28

ソーシャル・グッド

ああそうかあ、と思って、今日は買ってあった彼岸寺の本を読みました。ずっと、日本のネット・メディアで面白いなあと思うのは、greenz.jpと彼岸寺だったのですが、そしてどちらも全ての記事読んでますとか、毎日読んでますとかじゃないんですが、たまに読むと相変わらず好きだなあと思います。

第一章は我らが @yuzuki_m さんが書いておられて、ふむふむと思って、読みました。

小さな心から抜け出す お坊さんの1日1分説法
彼岸寺
永岡書店
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なんというか、もしかしたら、お坊さん、とかに託すことって、当たり前のことを当たり前に言える立場にいてくれることなのかも知れないですね。色々な立場で当たり前なことを当たり前に言えなかったり思えなかったりすることが、多分世の中多いのだろうから、って言うのが僕の感想。

なので、こういう本は、この言葉が心に残ったとか、このエピソードに心を打たれたとかじゃなく、ひたすら「そうですね」と思って読めばいいのかなと思いました。

でだ。ちょっとこの間、知り合いと話してた時に、「ソーシャル・グッド」って言葉が話題になってたなと。

ソーシャルグッドとは、社会貢献に類する活動を支援・促進するソーシャルサービスの総称、または、そうしたサービスを通じて社会貢献活動を促進する取り組みのことである。

ソーシャルグッドの「グッド」(good)には「善」や「徳」、「良い行い」といった意味合いがある。

ソーシャルグッドの例の中には、NPO法人に寄付できたり、情報をシェアすることでスポンサー企業から発展途上国への寄付が発生したり、物資不足に悩む被災者と物資提供者とのマッチングを行ったり、あるいはゴミ拾い活動の記録をシェアすることで実践を促したり、といった活動がテーマとして扱われている。

って書いてあるんだけど、これ彼岸寺の本読んだ後に、もう一回考えてみると、なんか噛み合わないんですよね。「ソーシャルグッドの「グッド」(good)には「善」や「徳」、「良い行い」といった意味合いがある」ってやつが。

で、思い出したのが、こないだ最近付き合いの深い後輩と、「まああれだ、社会的有用性の高いお節介、ってやつだね」って笑い話で話してたんですけど、なんか僕の感覚として、社会貢献、みたいなことと、善とか徳とか切り分けた方が良い気がするんですよね。パブリックマターとプライベートマターがごっちゃになるって言うか。

そう言えば、石巻に行く直前に、雄勝の荒浜の井上雄彦さんの壁画が見たかったという友達がいて、元々1日目、現地をご案内いただく予定で、雄勝行きましょうかって話になったので(連携している施設があり、その日、人がおられなかったので見学できなかったんだけど)、井上雄彦さんの壁画も行けますか、ということで連れて行っていただきました。まあでも、僕、井上さんがそこにそれを描いた経緯とか全然知らないで行ったのと、まあでもここにこれがある必然って、これじゃなくてあっちだよな、と思って荒浜の海の景色ばかり観てたんですけど。

何が言いたいかというと、人が社会に対してアプローチするということと、善とか徳ってことって、やっぱり切り分けられていた方が良いと思うんですよね。ソーシャル・グッドって、そういうものをごっちゃにする怖さのある言葉で。じゃないと、井上さんの壁画とかも、僕、消化不良起こしそうだなあと。あ、一応、消化したつもりでいるんですけど。まあでも、ご本人からなんか聞いたわけでもないからわからんちゃわからん。

昨日お会いした方が、まあそれこそ身を粉にして戦ってる感じだけど、端的に言うと「問題解決がしたい」って言ってて、社会に対するアプローチって、そういうことなんじゃないかと思うんですよね。そこに善とか徳とかいう言葉が働く必要ないというか。だから、偽善がどうとかいう必要もないというか。

まあ、すれてますかねw。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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