2007/2/2

合理性と物語性

『国家の品格』で藤原正彦氏が「論理」と「情緒」を対比していることが印象的でした。両方大事と言えば当たり前の話なのですけど、論理の中に情緒があり、情緒の中にも論理があり、対極にあるようで、なかなか切り分けられないもののように思います。ましてや、そこに時代観なぞを織り交ぜてしまうと(論理の「資本主義」と情緒の「武士道」みたいな)、やたら話が複雑化してしまうようにも思います。

最近スゴイ発明だなと感じたのは、任天堂のWiiのコントローラーです。インターフェイスの世界では、よくユーザビリティなんてことが語られて、しばしばユーザが画面をコントロールするのに「最適化された」コントローラがゲームの世界では利用されてきたわけです。僕はゲームウォッチで初めて触りましたが、十字キーとABボタンという組み合わせ。どこのメーカーのゲームマシンもこれまではそれをベースに推し進めてきたわけです。

しかし、より多くの機能と利便性を追求した結果、コントローラというデバイスは何だかボタンの塊みたいなものフジツボだかサザエだかわかりませんが、何だか得体の知れない刺々しいものに変容してしまいました。「楽しい玩具」に見えない姿形になりましたね。

そこをブレークスルーしたのが今回のWiiのリモコンだったわけです。実際体験しましたが、人間のアクションが自在にゲーム上のアクションに結びつく感覚。あれは非常に独創的でクリエイティブな体験です。ソフトを用意し、それをコントローラで制御する、というプログラマーの発想では、なかなかああいうものは生まれないと思います。合理的なだけでは駄目です。

一方でiPhoneがAppleから発表されました。日本での導入はまだ先のことになろうかと思いますが、アップルはマウスに始まって、インターフェイスの作り込みが上手な会社です。最近ではiPodのクリックホイールが「押す」「引く」「回す」「抓る」ではなく、「さする」という新しいアクションで、何千曲の楽曲をストレージし自由自在に聴くためのデバイスであるiPodに、一覧性の高いナビゲーションを用意しており、これはとても新鮮でした。

そのAppleが投入したのがiPhoneで目玉は全面液晶である、ということだと思います。確かに、「タッチパネル」という発明が「表示」と「操作」の垣根を取り払ってくれましたから、iPhoneのように全面液晶化してしまうことは、その拡張性という意味においても汎用性という意味においても自由度が高いのかなと思います。携帯電話はただでさえボタン多いですし。

ただそれでいいのかAppleという部分もあります。クリックホイールの新しさはこれまで使われてなかった種類の「触覚」に働きかけるインターフェイスであったことがあると思います。ましてや電話をかけるというアクションは、ダイヤル式プッシュ式と時代の変遷で形態は変わっているものの「触覚」と強く結び付いているという特徴があります。

ボタンを押すと「カチッ」とか「ポチッ」とか反動が返って来る感触が感じられるというのは、掛け間違えなどしたくない、電話という意外と神経質なツールにおいては、重要な機械からの「レスポンス」であるように思います。そういった触覚を補って、全面液晶というスタイルでAppleがこれまで以上の意味性をiPhoneという商品に、そのインターフェイスに与えることができるかどうかということは、非常に興味深い部分です。

タイトルに「合理性」と「物語性」という対比を掲げました。これは何かというと、いずれも他者を「納得させる」もしくは「説得する」ために必要なものです。合理的なだけのものでは遊びがなくて聞いてて飽きますし、話題によっては嫌気がさすこともあるやもしれません。一方で物語的なだけでは楽しくても腑に落ちない部分がでてきましょうし、大風呂敷を広げているだけのように聞こえるかも知れません。

どちらかが欠けてどちらかが満ちて、それでいいというものではないのです。その上で合理的であるということは研磨され洗練されていなくてはいけませんし、物語的であるということは豊饒で含蓄がなくてはなりません。WiiのリモコンやiPodのクリックホイールはそういう意味でどちらも備わっている製品という成果物の好例だと思うのですよね。

とは言え、両方を考えながら話を進めるというのは難しいものです。ただどちらか片方に引っ張ってもらえば、もう片方は自ずと後から付いてくる、ということは往々にしてあるものです。合理性を突き詰めて製作されたアーミーナイフに色々な冒険家の冒険譚がついて物語性が補われたり、物語性を突き詰めてオープンしたテーマパークでその世界観を守るために自ずと合理的な運用ルールが生まれたり。ただ、片方だけに「突っ走り過ぎてるかな」という疑問的な感覚はどこか心の片隅にあった方がいい気がします。

合理性と物語性で描いてみる「話」の価値というのは、「モノ」にも「ヒト」にも「カネ」にも「コト」にも、そして勿論「ブランド」にとっても大事な着眼点だと思うのですよね。

追記:
Tech Mom from Silicon Valley – タッチスクリーン原始時代回想録とiPhone
元ヘビーPDAユーザとして(今は手書きの手帳ですが)、うなずくことしきりでした。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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