2012/12/25

企業の社会的責任と企業の社会的良心

あんまり最近CSRみたいなこと考えてなかったんですけど、先日、 @Koji_hist さんの講演を聴く機会がありまして、一応、講義メモを「「駒場科学史講演会『プロジェクト』と企業の社会的責任」に行って来た」ということで掲載してありますので、興味ある方はどうぞ。

面白かったのは、CSRとか社会起業とかで今語られている文脈って、歴史家の視点で決して新しいことじゃないってことだったんですよね。考えてみれば当たり前のことで。僕が生まれる前から商売はあったわけで、商売していれば半ば必然的に対社会の関係性の持ち方として事業体にそういう概念は生まれてくるわけで。17世紀あたりのイギリスの話だったんですが、「プロジェクト」の概念の勃興と、それに伴う「プロジェクター」というレッテルというかステレオタイプみたいなものの誕生、でそこから生じる批判と説明の対立構造みたいなのを講演いただきましてとても面白かったです。

つまり、良いこと、とされることって、どの時代にもそれに衆目が集まれば、批判の対象にはなるんだと思うんですよね。そして、CSRとか社会起業とかって営利活動の一端なので、お金を稼ぐということとも切っても切り離せないわけで、つまり、そこで働くロジックって「資本主義の正当化」ということだと思うのですけど。

僕、プリミティブというか、ミニマムセットというか、細々とやっているので、あんまり責任とか感じずに好き勝手やってますけど、まだ2ヶ月くらいなのであれですが、それでもETのやることって、しばしばそういうこと、というかニュアンスを孕みますよね。やりたいことやってるだけですけど。

ただ仕事というものが対社会との関係性に置いて行われるののならば、本来的には対社会への何らかの意味性を持つんだと思うんですよね。そうしないと面白くないし。というか、僕が仕事楽しい、とか言っているの、大概そういうことだと思います。すごく些細なポイントでのことでありますが。

でそういうことを踏まえて、そういう対社会への意味性を広報していくってどういうことかなあとか考えると。

最近、すごい思うのが、すごいニュートラルに言ってしまうと、事業体の「良心」をどう可視化してパッケージに落とすか、ってことなあと思うんです。良心って、ある意味、何の色もない言葉というか千差万別だしなんですけど、例えば、友人の会社の良心の所在とか何となくわかるわけですよね。社長知っているから、サービスのどこにそういうことが落とし込まれているかもわかるし、対顧客にどういう努力をしているかもわかるし、それらを社会に対してどういう風に意味付けようとしているかイメージも湧く。

まあだけどそれ友人知ってて、友人から話し聞いてるからわかることで。

究極やりたいことやってればいいんだと思うんですよね、きちんとその事業体の良心が見える形になっていれば。

その「良心」ってことを、僕はブランディングでやらなかったなあという感じがしていて、ミッションは勿論大事なんだけど、割ともっと大事なことかも知れないぞ、「良心」、と思いました。

つまり、山本君の講演の内容を参照すると、とってもシニカルに批判されているわけです、プロジェクターと呼ばれる人達が様々な当時のメディアを通じて。でそれを何らかの形で認めてもらわおうとする努力が見え隠れする手紙とか文書とかを例で見せてもらったんだけど、そこでなんとか表象させようとしているのって、完成されたロジックとかじゃなくて、掴みどころのない良心なんですよね。ミッションを訴えるだけでは説得にならない。

そういう扱いづらいものをどうやって扱うかみたいなことを念頭に置きながら施策を考えるのはなんか面白そうな気がしていて。勿論、エクスキューズのためだけじゃなくてね。

@Koji_hist さんに、何か僕の仕事にもフィードバックができそうな気がします、という感想を返したのですけど、なんかそんなことをモゴモゴ考えていました。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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