教育を買う
今月、高校の先生と会うなあ、蕎麦屋予約したしなあ、と思っていたら、こんな記事を見つけました。
教育界に広まるテクノロジープラットフォーム。億万長者となった教師も登場し、教育内容の充実化にも寄与
これの是非はともかくとして、何かこれ遂に「教育を買う」ってことなのかなあ、と思ったりもしました。考えてみると、授業とかカリキュラムというのは、ある程度、知識や知恵をパッケージ化したものですよね。本と比べたら、パッケージし辛いとは言いつつも、今は色々なものがデータ化しやすい時代だから、パッケージに落とし込みやすい、とも言えますよね。
敢えて突飛な方向に考えると、例えば、同業他社の人とコミュニケーションする機会に恵まれないのと一緒で、多分、教育者の人も自分の学内はともかく、なかなか外部の教育者間で密なコミュニケーションを取ったり、新しいノウハウを教えあったりということは難しいんじゃないでしょうか。
勿論、勉強会とかあるだろうし、交流する機会はないわけではないでしょうけど、今、こういう時代ですし、コミュニケーションコストがだだ下がりの中で、機会を活かさないのも勿体無い気がします。
億万長者となった教師が出たことに、はて意味があるのか、というと、ちょっとそれは先生の立場になったことがないからわからないですけど、そういうものに値段がついて、というのは、ある意味、パッケージに付加価値が認められてレーティングされて広まる、ということだから、それは悪いことでもないように思います。
逆にもしかしたら、大きな議論だけでなくて、もっと細かい、小さな議論の活性化には繋がるかも。国語教育はどうあるべき、みたいな話じゃなくて、この先生のこの教材はこういうところが良い、みたいな細かい話って、あんまりプラットフォーム上、ないし外部も巻き込んだコミュニティの中で議論になるって、今までだと想像し辛いですよね。
ただ、僕は日本の教育界の現状を把握しているわけではないので、わからんですけど、教育を買う、という行為が可能になることによって、もしかしたら、そこで生まれるものって新しい価値かも知れないなあ、とかぼんやり思ってます。
おそらく、この話、大分反論があるはずで、教育者はどうあるべきとか、教育はどうあるべきとか、ビジネスを介在させるのかとか、まあでもそういうことにはあまり主義主張持ってないんですけど、先日のインセンティブ・デバイドのような隔絶は、おそらく教育を受ける側だけにあるわけじゃないはずで、何かこの辺り、日本に馴染むには相当時間がかかりそうだし、欧米で今後どんどん伸長していく方向性かどうかもわかりませんが、面白い話だなと。
蕎麦食いながら、聞いてみようかなー。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)