2012/9/23

【シリーズ十二因縁】行

行(ぎょう、巴:saṅkhāra, 梵: saṃskāra) – 志向作用。

このブログの読者ならご承知かと思いますけど、僕の話って「Small」ってところに落としがちですよね。ET自体がスモールビジネスだということもあり。ただ、小さいことを志向するって世間一般的な感覚で言うと、おかしいことだったりもしますよね。

Retinaディスプレイって話題になったじゃないですか。iPhoneとかMacの。Smallって結局そういうことかなあと思うんですよね。サイズを大きくするんじゃなくて解像度を上げる。ないし解像感を上げる。そうしてやると、その精細度というのは、大きなディスプレイよりも、小さなディスプレイで生きてきたりしますよね。そういうことなんじゃないかと。

ただ、小さい小さいって言い続けるのって結構勇気がいることで、話が小さいって、あんまり肯定的に捉えられないですし、まあ男らしくもないというか。

そう言えば、先日、影響を受けたコンテンツの話をしていた時に、僕は小説だなあと答えました。それも所謂大河ドラマみたいなものじゃなくて、どちらかというとこれまた小さい話。この場合の小さい話っていうのは、どういうことかというと、箱庭ってことになるんだと思います。実は以前、「箱庭的世界への憧憬」って記事を書いていて。

ファンタジーでもミステリーでもサスペンスでもいいんですけど、極めて狭い小さい世界観、すなわち、箱庭的世界観で紡がれる物語、そこで生きて来るレトリックやディテールって言うのは、実は先に挙げたRetinaディスプレイの話とも近しいのではないかと思います。制約を定義して、領域を限定した上で、どういったストーリーを展開するのか。これコンパクトにおさまればおさまるほど、エッセンス凝縮しやすいし、物語の旨みを抽出しやすい。

そうやって上げた解像度や解像感というのものを、じゃあどうスケールアウトするかという時に、そのレトリックやディテールを、違う物語に当てはめたり、話の第二部を作ったり、世界観を再編集しながら拡張したりするんだと思うんですよね。

そういう何か世の潮流より逆流っぽい志向性というのが、色々なところに働いていて、それでそこそこ機能して前に進んでいけるのは、結構面白かったりします。

そうやって、ひたすら解像度や解像感突き詰めていっても、ディスプレイ然り、いずれ人間の感覚が追従できなくなるのかも知れないですけど、実は大きくなっていっても、それはそれで人間の感覚が追従できなくなるタイミングはあるはずで、どっちに振るかって事業体のあり方や、仕事の作り方、プロジェクトの編成なんかに関わって来ますよね。

ただ、あんまり人のやらない方に振ってかないと、難しいのとつまんないのと、両方ってところでしょうか。

以上、行の話。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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(2012-10-5)
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