2012/6/24

阿吽の呼吸と社会システム

議論て実はどうでも良いと思っていて、なんて書くと藪から棒ですが、人と人が意見を交わすことは勿論大事だし、ザッツコミュニケーションなんですが、まあしかし議論大好き、って感じでもないです。というか多分どちらかというと苦手なんだと思います。

阿吽の呼吸ってあるじゃないですか。阿と言ったら吽と返って来るというあれ。あれって、「相手の気持ちをよくわかる」とか「相手をよく理解している」とかじゃないと思うんですよね。餅をつく人とこねる人がいる時に、そこで言う阿吽の呼吸ってのは、前に挙げたようなことも含まれると思うけど、どちらかというと、「相手の行動によって、次の自分の行動を規定できる」とか「相手の行動によって、次にとるべき自分の行動が類推できる」とかいうことになるんじゃないかと。

これってだから、非言語のコミュニケーションだったりするんじゃないかと思っていて、強いて言うなら、アクティビティベースドのコミュニケーションなんじゃないかと思うんですよね。送り手がアクティビティによって、受け手のアクティビティを促すというか。例えば、徒弟制度でいうところの「見て盗め」みたいなのもそういうことかも知れないし、ソーシャルラーニングで言うところの他人の学びが自分の学びを促すみたいなこともそういうことかも知れないな、などと思います。

こないだ切り上がった仕事でも、そういや議論ってほとんどすることなくて、Facebookメッセージで常時連絡を取りつつ、「こここうしたい」となると、「ああじゃあこここうしないと駄目だね」「ああこっちはこうなるね」みたいなのが実に有機的に決まってくるんですよね。

これそれぞれの性格と役割だけ把握していれば、後はそれぞれのプロであれば、成立するんですよね。

だからそういうものがもうちょっと大きな括りで機能すれば面白いんじゃないかと思っていて、そういうのは勿論組織内であれば分業というか役割分担として成立していて、それを規定するルールや設計もあると思いますし、そこには競争原理的な側面も当然あると思うので、ライバル意識みたいなのもあると思うんだけど。

そうじゃなくて、もう少し、それこそソーシャルグラフ的なことで考えると、「相手の行動によって、次の自分の行動を規定できる」とか「相手の行動によって、次にとるべき自分の行動が類推できる」みたいな関係性を色々なタイプの色々な人と持っていて、誰かのアクティビティを受けて自分のアクティビティに落とし込めるような阿吽の関係を持っておけると、そこから結構新しいものって生まれる気がしていて、それはだから、ある意味、議論ということと役割は同じで、でもそれがアクティビティベースドになると面白いんじゃないかなと。

実際、そうなってますよね。ソーシャルメディアで可視化されているのは人のアクティビティで、だから見栄の張り合いみたいになっちゃ駄目なわけですが、誰々がこういうことをやったそうだから、僕は次こういうことをアプローチするみたいなのは良い刺激の受け方だし、モチベーションになり得ると思うし、前に進んでいるんだと思う。

これって実は客商売の原則というか構造だったりもすると思うんですよね。そういう自分への動機付けをもう少し横の繋がりへ展開するというか。

そういうのが小さめのエコシステムでも、色々な所属や職掌を持った人と機能し始めると仕事や生活ってもっと楽しくできると思うし、僕が今いるコミュニティ、みたいなものでもそういうことってやっていけるんじゃないかと思うんですね。議論とかじゃなく。

というわけで、そういうことを割とやろうとしている今日この頃。

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